幸せを呼ぶ認知症 ~認知症の父との会話メモより~

認知症だった父の言葉です。どんなにパニック状態でも話していると次第に落ち着き、これからの人(祐子さん)に向け、愛と情熱をこめ話してくれました。それらの言葉は忘れてはいけないと思い数冊のノートや紙切れに記録しています。認知症は大変だけれど、不幸ではない。これらの言葉があなたの人生の助けになりますように…

父の遺言

なぜだか分からないけど今日の父の言葉は遺言のように感じました。

 

渾身の想いを込めて父が話していたからかもしれない。

 

ふと三年前の

 

メール読みました。

 みなさん元気で、よかった。

 

 ばあさんと 祐子のことを思い出して 懐かしく思った。

 そして、祐子のがんばりに驚嘆している。

 それだけでなく、意義のある仕事をしていることにエールを送りたい。

 

というメール読んだからかもしれない。

 

この時はメールでやり取りができた。

今はメールどころか、テレビのリモコンさえも操作できない。

 

認知症の父にいつものようにコールした。

 

 

123回…

 

 

なかなか出ない。

 

 

そんな時は父がパニックになって

 

 

母もどうにもこうにもできなくて 立ちすくんでしまっている時が多い

 

 

101112回…

 

 

私も覚悟して誰かが出るのを待つ

 

 

「もしもーし」

 

 

やっと父が出る

 

 

「こんばんはー。yukoよ」

 

 

私の中の一番明るい私で言う

 

 

「あー yukoさんかぁ」

 

 

喜びと安堵が混じった声で父が言う

 

 

思ったよりも明るく元気だったので私も少しほっとする

 

 

「いつもありがとうね」

 

体のこととか心配だけれど 私の心配が父にうつるといけないので あえて体のことはきかずに 父が朗らかでいられるよう感謝を言霊に載せて言う

 

 

すると父は

 

 

yukoと話すのはとにかくうれしいんじゃ」

 

 

と本当に嬉しそうに言う

 

 

「私も嬉しいよ。お父さんと話せて…」

 

 

父は更に言葉を紡ぐ

 

 

「あなたはこれからの人じゃ。いろんなことであなたはこれからじゃ。

 

 

 こんなに話聞きよっても楽しい。『これからがんばるぞー』という気持がうおーんと出てくる。だからがんばれ!という気持ち。」

 

 

心の底からわいてくる父独自の言い回し

 

 

「あなたと話よる間にがんばろうと思う。ありがたいことです。そやけん、心配いらんからがんばらせてください。」

 

 

「お父さんがんばりよるが」

 

 

「がんばりよるよ。それ(私と会話したこと)が頭に入って 自分が自分の頭に『しゃんとせい』と言うんじゃ。将来の望みがあるからがんばらんと。」

 

 

「あなたの声は激励の声。私の中から元気が出てくる。じゃけんあなたはいいと思いよる。」

コーチとして 娘として 人として嬉しくて涙が出そうになる。

 

 

「これからもがんばろう。良い悪いは別にして…。」

 

共ににがんばろうという!言葉にしていない父の気持ちが伝わる。

 

「いつもyukoの言葉を『そうだそうだ』と自分の体に聞かせる。自分の目を空に向けて いろんな気持が出てくる。それをごちゃごちゃ言うて自分の気持が固まる。あなたの言うことを受け取って、こうせないけんということが分かって嬉しい。誰まり話せんが自分に『そうか』思うて嬉しくなってきた。私は情けない人間ですが、あなたに教えてもらった。」

 

父の心からの喜びが伝わって 本当に良かったなぁと感じて それを創ったのは私で…父で…

何ともいえない想いがこみ上げてきて 涙ぐむ。

 

「涙が出そうなが…」

 

父に言うと

 

「涙が出るということは嬉しいことぜ。」

 

と、涙を承認してくれる父

 

「まだまだ考えんといけんことが一杯あるなーと思うた。あなたと話しよったら少しずつ分かるから嬉しい。嬉しいというかありがたいというか…自分で自分を考えることができる。
あなたが電話してくれることは非常に嬉しいこと。後で自分の気持ちを広げて、ああだ。こうだ。と考える。
あなたの話が来だしてから 随分 気持が良くなった。ありがたいことです。話も楽しかった。」

 

「私もよ。お父さん。お父さんは心の芯から聞いてくれるけん私もありがたいよ。」

 

父は思考ではなく 全身で魂で 私の言葉を感じ取って 受け取って 魂で返してくれている

 

yukoの話は自分の気持にズーンとくる。

 そりゃ、嬉しいよ。あなたと話したことは。

 

 こちらから投げ込むこともある。それを色々考えて、一晩中考える。それで自分も成長していく。きちんと自分のことが話せるのは大事。それによって成長する。あなたのおかげ。

 

今日、電話してよかった。

お互いが楽しいこと悩みを交換せんといけん。いいことばっかしでもないし、悪いことばっかしでもない。そういう中でほんとのことが出てくる。

 

あなたと話して世界が広がった気がする。

あなたの心はビシッとしとる。色々がんばったことが素晴らしい形に出とる。

 

何でも立派で良いわけではない。ガタガタしよるんがいい。そんなんですぱすぱっとはせん。それでいい。

 

自分や人に思うことが一杯ある。いろんなことがあるから、がんばってみたり、我慢したりして進む。

一斉に『こうだ』とはいかない。

 

あなたとは、なんか知らんけどスリスリスリスリと話しができる。自分の気持ちがいい。


あなたはこれからよ。ドンドン出したらいい。それによって自分も立ち上がる。

 

自然の中で気持ちよく出てくる。yukoはがんばっとるなー。と思う。

 

そして、お互いが本気で話しとる。ありったけの力で話しとる。

 

自分のことは色々あろうけど、それを空に向かって(心の中で話して) 答えがあったら嬉しい。

 

Yukoと話すは嬉しい。私もがんばらんといけんなーと思う。

 

貴方自身が素晴らしい。それでいいなぁと思うて。やっぱり嬉しい。それで頭の中がスーッとした。ウレシイナウレシイナが頭の中に入りよる。


あなたと話よったら気持よくなる。なんか力が出てくる感じ。

『がんばってやらないけん。一生懸命考え、自分の気持ちをしっかりもう少しがんばってしなさい。』と言いたい。


対等に話して気持ちよかった。ありがとう。」

 

 

傾聴などのコミュニケーションスキルも大切だが

 

技術だけでなく あり方や魂やエネルギーや想いや愛や 

 

 それらを統合した熟練された経験が必要なのかなと感じる

 

認知症という症状はあっても認知症という欠けた人がいるわけではない

 

脳細胞は一つ一つ死んでいっているかもしれないが

 

むしろその人の魂は余計な思考を通さない分 ブロックが外れストレートに感情や記憶が表出した分 浄化され 魂は清められている感覚がある

 

人としては自分に還り そういう人とコミュニケーションをとるということは成熟した人間関係なのではないかと感じることさえある

 

私と父に触発され 母も成長している

自分の不幸の原因は父といわんばかりに 誰かのせいにするのではなく

認知症の父を介護する大変でかわいそうな自分ではなく

自分が変わることで 表れてくる父が変わり 自分自身が楽になり幸せを感じられる

自分次第のひとに変わろうとしているし変わってきた

認知症は不幸ではない。認知症を不幸と思うことが不幸なのだ。

そんなことを気づかせてくれたお父さんありがとう。
魂と魂 真心と真心の対話をありがとう
そのことを幸せと言ってくれてありがとう
身をもって人生を教えてくれてありがとう
あなたの存在が私の励ましそのものです。